連休を前にするとカメラの手入れか本屋さんに行きたくなるのが癖です。2年ぐらい前まではこの時期にカモさんを撮るいいポイントがあったのですが、昨年ぐらいからめっきりいなくなってしまいました。今は鴨川にオナガガモがいっぱい来ているのですが、朝も7時を過ぎると、人が多すぎて撮るのがとても難しい、と何やかんやでどこに撮りにいくかはその時の勢いで決めることにし、夜に読む本を探しに河原町のジュンク堂へ。
新書コーナーでめぼしいものがなく、海外文学でキングの
「リーシーの物語」を手にとる。うーん、あまり評判が芳しくないのですが、最初のほうを立ち読みしただけでは判断できません。保留。前作「セル」でキング作品初のリタイアを記録してしまったトラウマかな。「スタンド」や「IT」、そして「ダークタワー」とあれだけの長編につきあえたのに、「ダークタワー」後のキングの作品には、ハッとさせられる煌めきのようなものが未だ感じられず、食傷気味なのです。
その代わり、ジェフリー・ディーヴァーの「スリーピング・ドール」を買いました。「ボーン・コレクター」のリンカン・ライム物の最新作で登場の尋問の天才、キャサリン・ダンスを主人公に据えた犯罪ミステリものです。おもしろいかと思ったのですが、まだエンジンがかからず、遅々として進みません。ふと思い立って買った、アーサ・C・クラークの、新訳となった
「幼年期の終わり」、とジェームズ・P・ホーガンの「創世記機械」、こちらのほうが圧倒的におもしろい!もう何回か読んだ古い本です。それでも、彼らが描いた未来が実現できていない現在の視点から、古典になってしまったSFを読むという妙にねじれた時間感覚がそうさせるのか、とても新鮮なんですよね。
昨年の3月に亡くなったクラークの作品では、「2001:宇宙の旅」、「幼年期の終わり」が知名度が最も高いですが、個人的には
「遙かなる地球の歌」という中編が最も好きです。この中で描かれる宗教観、神については賛否両論あるのかもしれませんが、人類史の中で”宗教”が全てにおいて善だったとは言えないという感覚は共有できます。ただ、クラークは人間を性善説で描いているように思うのですが、僕は人間性悪説なので、いくつになってもちょっと違和感を覚えてしまう。ホモ・サピエンスの攻撃性はとどまるところをしらないから、それを押さえ込む窮余の作として宗教をも生み出さざるを得なかったのが、我々人類の宿命!(というか業?)なのでは?と常日頃思うからこそ、かえってクラークの世界観はさわやかで気持ちよく読めるのかもしれない。そんなことより、「遙かなる地球の歌」の最大の見せ場はラスト間際の宇宙船から見る地球の壮絶な光景。これは最近の安っぽいCGでは描ききれないだろうな、、。先日、立ち読みで読んだナショジオに「人類が今までに生産した金の総量はオリンピックの競泳プール2杯分もない」と書いてましたが、逆に、それだけの金がよく地球に集まったなと思うのです。金のような思い元素は中性子星クラスの重い恒星を含む銀河同士がぶつかって初めてできるので、遠い昔にこの太陽系ができる以前に、近くにそうした銀河システムが存在した証拠。これはすごいことです、、。クラークやホーガンの作品を読むとそうした宇宙への果てしない想像力がかきたてられるのですね。
とはいえ、彼らの作品の宇宙観と現在の我々のそれとでは大きく異なるのも事実。たしか、5,6年前にこの宇宙がただただ膨張するだけの運命であるという確実な証拠が発見されてます。最後は無限に、やみくもに広く、真っ暗な(光子ですらもう消滅した)、最後のブラックホールも蒸発した、何もない空間が膨張を続けるだけ。とはいえ、ほぼそのようになるのは10の100乗年ぐらいの頃ですが、(今が宇宙誕生後10の10乗年代。つまり指数を基準にすると10歳代。宇宙の死は100歳ぐらい。60歳ぐらいで陽子崩壊が始まるので、その頃には生命は確実に存在しなくなる)。
そんな今日この頃、、、。
PS
それにしてもエキサイトのブログ、リンクの設定やフォントの太字、大きさの設定がうまくできませんね〜。選択した文字列に対してどうやってもフォーカスされません。macではSafariでもFirefoxでもうまくいきません。Windowsではちゃんとできるのでしょうか。それともエキサイト側の問題なのか、どちらなんでしょう?